「家事やめます!」と宣言した愛され妻の変貌

仕事も家事も育児も中途半端だったあの頃
2016年、慣れない管理職の仕事、ワンオペ育児、元々得意ではない家事全般…
どれもこれも中途半端になっている自分に自信をなくしていた。
「ちゃんとできている人もいるのに…」
―注射は得意。
―手帳を書くのが好き。
でも、そんなものは日々の生活になくても困らないものなのだ、と知ったときには悲しかった。
娘にも夫にもイライラした日々
娘にいら立っても仕方ないのに、「なんで今日に限って!?」というときに体調が悪くなる。
そして、そう思ったあと強烈な自己嫌悪に襲われる。
「ああ、娘はしんどい思いをしているのに、気づいてあげられなかった…ひどい母親だ」
夫にも手伝ってもらえないし、手伝ってもらっても結局最後は自分で確認しなくちゃいけない。
なら、初めから自分でやった方が早いんじゃない?
そんなことの繰り返しだった。
「○○しなくちゃ」に追い詰められた結果…
夫が協力してくれないわけじゃない。
いつからか「私がしなくちゃ」という言葉に縛られるようになっていったのだと思う。
「(遅れを取らないように)仕事を頑張らなくちゃ」
「(いい母親でいられるように)娘のお世話をきちんとしなくちゃ」
「(夫に細かく言われないように)家の中を片付けしておかなきゃ」
そして心と頭がパンパンになった私は、とうとうショートしてしまう。
「もうダメ、辛い、悲しい!!」
しばらくは、自分がいかに主婦に向いていないか、子育てがうまくいっていないか、ネガティブな思いがぐるぐると頭を駆け巡ったけれど、ふと我に返る。
「このままでいいの?」
「私が本当にやりたいこと」を自分に問い続けた
私はお気に入りのノートに、包み隠さずそのときの思いを書き出した。
「なんで、やらなくちゃって思うんだろう」
「しなかったらどんなことになる?」
「私じゃないとできないことなのかな」
そこで気づいたのは、私は自ら「しなくちゃ」という言葉で追い詰めている、ということ。
そして、「しなくちゃ」ということで「”できてないけど、やろうとは思っている”自分」を肯定しようとしていることも分かった。
本当はやりたくない!
自分の本音をノートに書き殴って気づいたのは「本当はやりたくない」と思っている自分の存在。
仕事はしたい、娘と遊ぶ時間も欲しい。
でも、家事は私じゃなくてもいいのに!
別に誰がやったっていいやん!
”私、勝手に自分で頑張ろうとしてたし、頑張っている気になっていた。”
これを自分自身に確認できたとき、胸につっかえていたモヤモヤがストンと落ちた。
夫に告げた「家事、やめるわ」
怒られるかな、嫌な顔をされるかな、そう思って宣言した夜。
夫は驚きつつも割とすんなり「うん、それでええんちゃう」と言ってくれた。
その日から私は家事をやめた。
正確には「頑張ってする」家事をやめた。
散らかってるのが気になったら片付ける。
汚れているのが気になったら掃除する。
先に気づいた方がやる。
実にシンプルな形になった。
まとめ
ワンオペ育児に対して、夫だけを責めても解決しない。
「時間がないから仕方ない」と自分のやりたいことをやらない理由にするのも違う。
「私はどうしたいのか」を常に考える
「母親だからちゃんとしなくちゃ」
「妻としてきちんとしなきゃ」
そういう、他人から見た自分を着飾るのはもうやめよう。
LINE公式アカウント
毎週月曜日にちょっと前向きになれるメッセージをお届け!
個人セッション(カウンセリング)を希望する場合もこちらからどうぞ♪
Instagram
台所で料理を作ったり手帳を書いたり。
「なりたい自分になる」をテーマに更新中です。